お侍様 小劇場

    “蜜会の宿”
           …ってもいいですか?続編 (お侍 番外編 60)

                *微妙に女性向の描写中心のお話です。
                 ぬるい代物ではありますが、苦手な方は自己判断でご遠慮願います。
 


さあさあさあと、耳鳴りのようなかすかな音がして。
ここが自宅ではないこと思い出し。
それから、それじゃあ。
間近い海から届く、潮騒の囁きかと思っていたが。

 “…………雨?”

窓の外、松葉を洗う霧のように細やかな雨が、
単調な調べを紡いで淡々と、
随分と前から降り出していたらしい。
夏掛けだろう、軽やかな蒲団の中で、
一体いつから降っているものかと、
そんな風に思考が向いての、だが。

 “……えっと。///////////”

いつの間に眠ったのかの記憶が曖昧で。
そうまで翻弄されたのかと思うと、
その“原因”へと、知らずお顔が赤くなる七郎次だったりし。

 “……。”

ここ数日は妙に蒸し暑かったのをつい忘れたほどに、
室内の空調はきっちり制御されているのだろう。
衾の中、身を寄せ合うようにしていても苦ではなく。
身にまとっていた浴衣は、
一晩越してもさらりとした感触がまだかすかに居残っていて。
そんな糊のつけように感心しつつも、
これを着直した覚えがないと、

 “…。////////”

またまた頬が赤らんでしまい。
そして、

 “それで、なのかな。”

さすがに“左前”に着せられているような失態はなかったが、
腰に回されてあった簡易の帯が、腹の右端で微妙に立て結びになっている。
こういう帯やら靴紐やらを、自分で結ばぬお人じゃあないが、
一度でちゃんと結べた試しが少ない御主でもあって。
不思議なことには、そこだけ久蔵と同んなじなので、
ああ血統ってあるんだなぁなんて、
妙な感心をしたこと、幾たびあったことだろか。
そんなこんなと思いつつ、そろりとお顔を上げたれば。

 「……。」

同じ柄の浴衣をゆったりと着込んだ、
だが、自分なぞとは比べものにならぬ、
逞しくも屈強な胸板が目の前にはあって。
雨でもお外は明るいらしいのと、
上掛けをきっちり顎までと引き上げてはないせいで。
剛いひげをたくわえた顎からおとがい、
ごつごつした首元と、それから。
少しはだけた前合わせから、
懐ろの浅黒い肌が覗いているのまでもが見分けられ。
筋骨の隆起が陰影を刻む、
いかにも男臭くて精悍な胸板のその輪郭から、
どうにも視線が剥がせない。
趣味や健康管理のためにとの安穏に、
余裕で練り上げられた身体じゃあないと知っている。
実用からの必要があって、鍛え上げられ絞られた身体であり、
肩と脾腹に新しい傷が増えていると、
昨夜もついつい数えてしまったばかり。
平和なこの国では信じられぬほどの危険へ飛び込み掻いくぐり、
何が立ち塞がろうとしぶとく生還して来たが故の、
雄々しくも強靭な肉体なのであり。

 “えっと…。”

彫りが深くて少々いかめしいお顔にもいや映える、
何とも強壮で頼もしき この肢体に。
求められての組み敷かれて、それで、
昨夜の末を何も覚えていない自分であるのだと。
そういう経緯が思い出せたのにつれ、
見る見る頬が赤らんでしまった女房殿。
さあさあさあというこぬか雨の音さえも、
耳元から聞こえて来る、自身の血脈の躍る音に、
あっさり紛れてしまったほどであり。

 “えっと……。/////////”




     ◇◇◇



ここへと来たのは骨休めのため。
勘兵衛からのその言葉に偽りはなくて、
少しほど休んでののち、間近い海岸までの散策に出た。
観光地ではないからだろう、
平日の昼間とあって人通りもまるでなく。
ごくごくありふれた住宅街の通りを少し歩けば、
防砂林の名残りのような松林があって。
そこを抜ければすぐにも砂浜に出るという。
波が高いおりのための堤防だろか、
頑丈なコンクリの菱形ブロックで斜面を固めた土手を降りると、
よほどに穴場か、ゴミの漂着も少ない、
それはそれは綺麗な砂浜が延々と連なっていて。
沖の方では少し出て来た雲と、そこから降り落ちた陽の反射か、
細かい金の砂を散らしたような細波が、
濃青の海面にちかちかと光るのが、遠い筈だのにくっきりと望め。
すぐ足元では静かな波が寄せては返し、
角の丸い石ころを、ころころ転がしてはされど持って行きそこね、
揺らして遊ぶにとどめている様、どうしてだろうか見飽きなくって。

 「…七郎次。」
 「え?」

彼のほうでは退屈になったか、それとも連れのよそ見を厭うたか。
名を呼ばれて振り向けば、持ち重りのする手がぽそんと頭へ乗っけられ、

 「やはりな。随分と熱つうなっておる。」
 「あ……。」

そうだ、こうまでいいお日和なのに、帽子をかぶってませんものね。
うっかりしていたと苦笑を返し、

 「私よりも勘兵衛様こそ。」

黒い髪なのだから、熱の吸収だって高いはず。
くせがあってのもったりと豊かな蓬髪を、
背中までとの長々と伸ばしている御主であり。
暑くはないですか?と訊けば、
口元をほころばせ、ゆるゆるとかぶりを振って見せる。

 「駿河の生まれを舐めてもらっては困る。」

南西諸島の比ではないが、
それでも暖流の関係もあって、
ともすりゃあ九州より暖かい地方であり。
だから平気と理で詰めたいらしく。

 「そうでしたね。勘兵衛様はむしろ、寒いのが苦手。」
 「ああ。お主が温めてくれぬと寝付きが悪うてな。」
 「な…。///////」

なぁに、誰も聞いてなぞおらぬ、と、
しれっと続けた壮年へ。
そういう問題じゃありませんっ、と、
ますます熱中症になりかねないよな憤慨ぶりを、
女房殿が見せたところで、
熱を冷まさねばと宿へ戻ることにした。




     ◇



観光地ではないながら、
それでも“隠れ里”としての、
これも至れり尽くせりの一環というものか。
内湯と言って片付けるのは勿体ないほど、
ゆったり広々とした湯殿が各部屋についており。
一人ずつ入るのも今更だからと、
天窓からの外光あふれる、総ヒノキの湯殿へ揃って入る。
こうまで明るいところで
あらたまって見ることとなるのは久しい互いの肌。
実のところは、
何とも雄々しく重厚な、勘兵衛の肢体の見事さには、
少なくはない憧憬と羨望を感じなくもない女房殿であったのだが。
それこそ今更、何を照れたりすることがあろうかと、
気にならぬ素振りのままに進みいでた七郎次。
嵩の多い御主の髪を洗って差し上げつつ、

 「耳の後ろや足の指、いつもちゃんと洗っておいでですか?」
 「何だなんだ、童っぱでもあるまいに。」

唐突に子供扱いな言いようをされ、おいおいと苦笑をこぼした御主だったが。
ですが、勘兵衛様はいつもずぼらをなさるでしょうと、
女房殿も簡単には引かない模様。
長湯な割に、洗い場においでの時間は短いの、
気づいてないとお思いですか?
そんな一言付け足して、ざざぁと泡を流す湯を髪へとかけてやる。
広い背中は洗い甲斐があり、しかも不思議と傷跡が少なくて。
昔の剣豪じゃあるまいに、
背中の傷は逃げ傷とかなんとか信奉なさってるんじゃあるまいなと、
こそりと苦笑をこぼしておれば、

 「久蔵にもそのように言ってやるのか?」
 「久蔵殿は、あんまり煩わせはしませんよ。」

引き合いに出したのならば残念でしたと笑いかかって、
だが、

 「ですが、そろそろ煙たがられる頃合いかも知れませんね。」

七郎次はちょっぴり真摯な口調になった。
出会った頃が幼かった久蔵ではあるが、
年の差は縮みはしないとはいえ、それでももう高校生だ。
ついつい構いつけるのを、
そろそろ鬱陶しいと思われているのやも。
「久蔵殿は優しい和子ですから、何も言わないでいてくれてますが。」
子供扱いされるのを、本当は迷惑に感じているのかもしれないですねと。
そんな爆弾発言までするものだから、

 “本人が聞いたらどれほど泡を食うか、だな。”

実のところは早めに親離れしてほしい存在なれど、
それがこちらの母上様をも、寂しがらせる事態なら、
放っておくのも剣呑と、黙っておれぬ御亭だったりし。

 「煙たがっておろう筈がなかろうよ。」
 「…勘兵衛様?」

あやつにしてみれば、お主は早くに亡くした母御と同じ。
それほどに懐いてもおるし、大切にも思うておろうから、
「どう間違っても煙たがったりなぞするものか。」
「そ、そうなんでしょうか。////////」
肩越しに見やるまでもなく、嬉しそうに咲き笑う彼であるのが見通せて。

 “…まあ、いっか。”

ここには居合わせぬ誰かさんへ、
これは貸しだぞと内心にて言い張っておれば、

 「久蔵殿と言えば。」

よほどに気をよくしたものか、
七郎次が何かしら思い出したらしい。

 「今時の子には珍しく、腕時計を離さないんですよね。」
 「腕時計?」

というか、今時の若いのは腕時計をしないのか?と勘兵衛が訊けば、
「ええ、携帯の表示で間に合うじゃないですか。」
デートだとか畏まった相手との待ち合わせだとか、
携帯を始終見るのが失礼にあたるようなお出掛けででもない限り、
それで間に合わせるのが主流だって言いますのに。
「久蔵殿は、学校へは勿論のこと、
 休みの日でも必ず、きちんと手首へ嵌めているんですよね。」
「ほほお?」
だが、それがどうかしたかと。
正直そろそろ彼の話題からは離れたいらしい勘兵衛が、それでも訊いてやれば。
待ってましたと言わんばかりに、口許ますますほころばせた七郎次、

 「誰か様が、それは見事に腕時計で身を守ったのが忘れられないのですって。」
 「………お?」

初めてお顔を合わせたその場にて。
勘違いからとはいえ、
刃びきをしてはない真剣にて、たあと斬りかかった久蔵殿を、
それは難なくいなしたそのお人は。
何の武装もなさってはない丸腰だったので、
とりあえずはと手首にしていた腕時計を盾にかざし、
刃から身を守ってしまわれて。
「そんないきさつがあったなんて話は、去年初めて聞かされました。」
東京での同居が始まり、携帯電話を持たせたにもかかわらず、
時計も離さぬ彼を見、生真面目なことよと思うておれば、
実は…と語られたのがそんな顛末。
「剣に一途と生真面目なばかりな久蔵殿にとって、
 その初めのころに焼きつけられたそんな一幕が、
 随分と印象深い出来事だったのでしょうね。」
しみじみとした口調で結ぶと、
向かい合ってた広い背中から泡を流して差し上げる。

 「だから、日頃からも時折、緊張感を漲らせておいでなのでしょうね。」

くすすと微笑った女房殿へ、
いやそれは、根拠となってるものが微妙に違うのだろにとは、
どうしてだろうか、言ってやれず。
というのが、

 “……気づいてないなら、久蔵には気の毒な。”

ああまで慕っている子だというのにね。
最近では、親代わりへ以上の熱い視線さえ向けてる坊やだってのに、
しかもそれへと、勘兵衛でさえ気づいているのに。
日頃のいつもを一緒にいて、
彼からの視線や想いを、たいそう間近から受け取ってもいるご本人が、
何と言いますか………

  天然さんの罪作り

当人が知らぬうち、二つも貸しを作ってしまった次男坊へ、
ちょっぴり同情したくなった壮年殿だったりもするのである。




  *う〜ん。何かほのぼのしてばっかな休暇の前半ですな。
   次の章は、いよいよ…もとえ、とうとう そういう場面ですので、
   苦手な方は自己判断で避難してください。

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